割れた木魚
割れた木魚
50年ほど前に奉納された1尺5寸程の玉鱗の桑木大木魚が割れて音がでなくなってしまった。東日本大震災以降続く福島県沖の大地震で、倒れた仏像があたり、仏像も木魚も壊れてしまったのである。叩いてもぺてぺたするだけで、音が全く響かない。見た目は変わらないが木魚の生命である音のヒビキが、消えてしまった。銘工の木魚であったが、わずかなひび割れでも音が全く無くなってしまうという繊細さに驚かざるをえない。どう工夫しても音は響かなくなってしまったのである。
12年前の東日本大震災以来度々起きている震度6の大地震は、賽の河原の石積みを思い出す。供養のため積んでは崩される始末であった。 大地震は、一瞬の揺れであらゆるものを崩壊してしまう。
この寺は400年ほど前の古いままの寺であるが、立て続けに起きる大地震でも、幸い、全壊すること免れたとはいえ、実際には、被害は予想以上で、特に堂宇は著しく傾き、ひずみが全体に及び、これを修復するとなると一筋縄ではいかないほど深刻であった。しかし、大地震は広域なだけに、寺だけが被災しているわけではなく、寺をささえる檀信徒の方々の家も大きく被災しているのだから、無理なお願いはできない。お陰様で保険をかけて頂いていたのでそれでまかなえる範囲で、応急の処置でしのいできている。
しかし、修理してくださった大工さんの話では、「次に震度6クラスの地震が来たら無理ですから覚悟しておいて下さい。」と言われている。
古くて華奢な本堂は木材がかなり脆くなっていて限界に近いそうだ。
近年の大地震で、祀ってある大半の仏像や仏具も、皆吹き飛んで散乱してしまい、その状況はかなり痛々しい限りである。その大半が破損しており、おびただしい数の修復は、この時代では無理である。この割れてしまった木魚もまた同様であった。
しかし、法事の際の読経にはどうしても木魚が必要なので、やむを得ず、しまっておいた古い小さな朱塗りの玉鱗工の木魚を出してきて使っている。しかし、この木魚は小さな木魚だが音はぽくぽくとよく響く。小さくとも古いものほどよくできているのかもしれない。おそらく寺創建から使われてきたもくぎょであろう。小生は幼い頃から慣れ親しんできた木魚であるから使うことには抵抗はない。50年ほど前に立派な木魚が奉納されたので、この古い木魚は脇間にしまっておいたのであった。
今回、大木魚にヒビが入ってしまったことは、祖父の方の代のことでもあるので、檀家さん伝えても心配やら負担をかけかねないので、直接伝えることは控えている。大木魚はそっと本堂の涅槃の間の経机の側に置いてある。しかしみごとな木魚なので、もしかして叩き方がまずいのかもしれないとと、ときどき、叩いてみるが、やはり無理であった。
これは近くの大寺の木魚の話しであるが、30年ほど前であったか、その寺に奉納された玉斎という銘のある木魚の音を聴いたことがある。
ある朝のこと、自坊の本堂で仕度していたのであるが、どこからともなく重厚な太鼓の音が木魚を打つようにきこえてきて、かすかではあったが、実に低い響きに誘われて、はて?どこから響いてくるのだろうと、外に出て、その音をたよりに辿ってみると、五百メートルほど離れてた隣の浄土宗の大寺の本堂からであった。これまで聴いたこともないような実に重厚で気持ちの良い響きである。その寺のお墓のところでしばらく聞き耳を立てていた。
この玉斎の木魚もいまでは1尺5寸でも3,700万円以上はするそうだ。小生の寺の規模では到底、購入など覚束ない代物である。いまでも、この玉斎の木魚を超えるものはないという。
とはいえ、これも欲であろう。本当にすぐれた音に出会ってしまうと、それが比較のもととなってしまい、寝た子を起こしたかのように、心のどこかで、このように音の良い木魚をなんとか手配できたら良いにのに・・・と思ってしまう。が、分をわきまえるというか、世界中で苦悩している人々のことを少しでも考えるならば、このような木魚は贅沢以上の何ものでもない。重要なことは仏の教えであり、このような鳴り物にあるわけはない。まして読経するためだけなら、まな板で充分である。
それにしても、音が割れた木魚や古く傷んだ木魚で日々供養していると、申し訳ないきが起きてくる。せめて、もう少し響きの良い木魚はないものかと探す自分があるのも事実ではあるが・・・・。
最近、ふとしたきっかけで手にすることができた、二つの木魚が手元にある。
一つは朱塗りの木魚で1尺の玉鱗工の木魚で傷はあったが響きはとても良いものである。
実はこの木魚を目にしたとき、木魚自身が「どうぞ、わたしをお使いください」と語りかけてきたような気がして、どうしても無視できなかった。なんとなく不思議な巡りあわせを感じて引き取ったのである。見た目は傷だらけで、なんともひとには言えない代物だが、愛らしさがあった。音の響きはとても良く、この寺の洪鐘とも響きが良く共鳴してくれる。実は、はじめ、読経をしているときに不思議な響きがどこからともなくきこえてくるので不思議に思うことがあった。よくよく確かめてみるとどうやらそれは洪鐘と木魚の微妙な共鳴音であるらしい。まるでチベット僧の重厚な読経の響きそのものであった。えっ!自分以外に誰かが経文を唱えているのか!と、読経を止めて、しばし、その音に耳を側立てる。まことに不思議なことに、この木魚自身が経典を読誦していという信じがたいものがあった。この木魚も傷だらけではあるが、愛嬌があり、朱と金と黒の塗あわせがとても美しい。この木魚を「天から授かりもの」として大事にしたい。
もう一つの木魚は樟の1尺5寸ほどの無名の白木木魚である。
実は、これは、木魚とはいえ、まな板を叩くような音にしかきこえず、もちろん玉斎のようなポンという響きすらないものである。それでも存在感のある木魚ではあった。ご縁があって手元にきてくれた木魚であるので、音の響きはないがせめて朝夕の勤行ときに使わさせていただこうと、もう一つの朱塗りの玉鱗の木魚と並べておいた。
この白木の木魚を打つときは、これまで使っている固めのバイだと、まるで包丁でまな板を叩いているようになってしまうので、布巻きのバイに変えて、般若理趣経をとなえるときにこの木魚をすこし控えめに叩く。
何度か使用している内に、不思議なことに気づいた。どこかで聞いたことのあるリズムと音がする懐かしいもあり心地よい響きが残るのである。
何だろうこれは?確かめるように、確かめるように、何度も何度もこの木魚を打ってみたのである。
そう!それで気づいた。紛れもなく優しい音がリズミカルに響き、まる、でお神楽のように、天の神々が嬉々として舞っている情景が心に浮かんでくるではないか。
はて?確かに、この音はどこかで聴いたことのある音だ。
これまで、鳴りの良い木魚はいろいろなところで叩く機会はあり、それこそ、ある葬儀社がこだわる玉斎の木魚も叩いたことはあり、確かに響きはうらやましいほど良いものではあるが、ときおり読経の折り、耳に突く感じがあって、不快に思うこともままある。まして、勤行で経文をあげるときは、自分の耳にかろうじて届く声で静かにあげている。鳴りの良い響きは経文を聞き取るに妨げに感ずることがしばしばある。
もちろん、葬儀やご法事のときは、参列者に聞こえるよ強めに声を出すので、音の良い木魚は参拝者にとっても心地よいものであるので、ペタペタする木魚よりは、音がすぐれている方が良い。
しかし、静かに独りでお経をあげるときに気づいたのであるが、この木魚は、読経を妨げもせず、雨だれの音のように心地よく、天部の諸尊も喜び、木魚を打つだけでも、、自然と心が落ち着く。
それにしてもこの音は、確か、どこかで聴いた覚えのある音である。
それからというもの、朝夕この木魚がわたしを待っているような気がしてならず、朝夕の勤行で般若理趣経をとなえるときに打つことにしている。
確かに、この音はどこかで聴いたことのある音だ。
そう!確かに、ある時、不思議な音を耳にしたときの音だ・・・・記憶が。
その忘れがたい音の記憶が蘇っているのである。
それは次のごときものであった。
師僧の寺の西国三十三観音霊場巡礼に招かれて、その寺の檀信徒の方々と同行しているときであった。
バスに乗って、だいぶ長い道のりを経てようやく那智大社の麓に宿を取り、翌朝、数人連れだって散歩に出た。雨が降り、傘を差しながら三々五々のんびりと歩いていた。ふと山の奥から、しきりに囀る一羽の鳥の声に誘われて、独り登り道をあがっていた。
あの鳥はきっとこの奥の森で鳴いているのであろうと、声のする方に登っていく。右手に石段があって、その石段の先で鳴いている。
石段を登り切ると、朱塗りの那智大社の本殿が忽然と森の中にあらわれた。一羽の鳥は雨の中、その大社の軒先で鳴いていた。何か法を説くかのようによく響く美しい声で囀っている。しかも雨にかき消されることもなくはっきりと響いてくる。 そっと、近づき、雨に煙る境内に佇みながら、その鳥の声に耳を澄ませていた。
まるで神霊が説法をしているかのような鳥の声であった。(よく来た、よく来た)といっているような気がした。
やがて、下の方から遅れてきた連れの人たちの話し声が近づき、みごとな大社の伽藍に彼らの歓声があがる。
くだんの鳥はどこ知れず、すっと飛び去っていき、あたりは全く静かになった。
お参りが済んで 境内をゆっくり散策していると、社殿の右奥の方から何やらトントントントンとリズミカルにお神楽太鼓のがする。この音を聴きながら、ずいぶんと朝早くから儀式が行われているのだなあと音のする方へと向って歩いた。
古い社殿と大きな大木がある境内に出た。はて、どのあたりで儀式は行われているのだろうと探したが、それらしい人の気配は全く無く、雨の中、社殿も境内もひっそりと佇んでいる。
しかし、あの、リズミカルなお神楽鼓の音はずっと響いている。どこだろうと音の方を探した。渡り廊下と社のあたりだ。トントントントン トーント トントン トントントントン トーント トントン トントントントン トーント トントン トントントントン トーント トントン 決まったリズムでズーッと続く。笛やお囃子はかすかに聞こえそうだが、かすかすぎて、気のせいかも知れなかった。しばらく、この不思議な響きに聴き入っていた。
あっ!これは屋根を打つ雨だれの音だ!気づいたのはだいぶしてからである。
あの一羽の鳥の声といい、この雨だれの音といい、ここには神気が宿り、天地自然の神々が舞っている、実に心地よくやわらかで陽気な神楽太鼓のヒビキはこの世のものとは思えぬ神妙不可思議な音の饗宴であった。
あれから、25年は過ぎているだろう。不思議な記憶であった。
この白木の樟の木魚はこのときの屋根を打つ雨だれの音にそっくりである。そう気づいて以来、この木魚が小生には特別なものとなっている。
般若理趣経をあげていると、敦煌の壁画に描かれているブッダの浄土にあって、仏や聴衆の前で軽やかに舞いを舞う天女の姿が浮かんでくる。
令和5年も暮れようとする現代、世界を新型コロナウィルス感染やテロや戦争による暴力、自然災害で、かけがえのないいのちをなくすが後を絶たない。せめてあの世とこの世の平安に資することができたらと祈るかけがえのない木魚である。
一大事
昨晩みた夢は色鮮やかで忘れがたい夢だった。
山々をかき分けようやく辿り着いたところに、木々に埋もれた小さなお堂があった。
誰もいない参道には五色の幡がきらびやかに風になびいて輝き、かすかな鈴の音が辺りを清らかにしている。
(こんな人里離れた山奥に、まさか、こんな寺があるとは思いも及ばなかった。)
お堂は戸があけ放たれていて風通しがよい。これからなにか厳かな法要が始まるのであろう。
お堂の中は金色に輝きその光りが御堂から漏れている。その輝きはこの世のものとは思えぬ美しさであった。
一体、ここはどこなのだろう。このお堂の中は、どうなっているのだろうと、邪魔にならないようにそっと近づいてみた。
修法壇がある。その壇の四方をやはり小ぶりの五色の幡が色とりどりにはためいている。(施餓鬼会であろうか・・・)
しかし、中心より発している強力な金色の光り輝くものの正体はわからなかった。不思議に、そこから泉が湧くように、光が懇々とわき出出ているのであった。
しばらくすると、お堂の右手の上のほうで、人々の声がする。そちらの方へ目をやると、このお堂の裏山の右手に庫裏のようなものがある。庫裏の明かりがともされ、シルエットのように障子越しに人々の影が映りうごめいているのが見えた。
(ああ、そうか、もう夕暮れ時なのだなあ)と思いつつ、しかし、こんなところに人々が暮らしているとは・・・と驚くばかりであった。
そこから、声がする。
「ああ、よかった、よかったね。これでようやく、私たちも、この寺にずっとお仕えしてきた甲斐があったというものです。」という話しであった。
人々の声の調子から、彼らが嬉々としていて、明るい雰囲気であることがうかがえる。
はて、この人達は誰なのだろうか。彼らはいったいどうしてここにいるのであろうか怪訝に思ったが、ふと、どうも、この人達は代々この寺を護ってきた僧侶や寺族達一族であるに違いないと思えた。
(そうか、ここは、古びた寺ではあるが、おそらく、昔この寺にで住んでいた人たちが、こうして、今もやはりここに来て祈りをささげているのであろう。)と、一人合点していた。
「さあ、さあ、支度が整いました。みんなで降りていって、地上の人々に(ン?)ご加護を賜りますよう、張り切ってご本尊にお祈りを捧げましょう。」という声がした。どうやら、あの庫裏のほうから、こちらのお堂のほうへ、石段を下りて来て集まるらしい。いったい、どんな方々なのだろう?
そう思った途端、眠りから覚めてしまった。
極彩色の夢を見るのは珍しい。しかも、かなり強烈で印象的で、その夢の記憶は数日間残っていた。
いまでも、あれは夢であったが、実在している感触が残っている。
この夢には何か如来性からの深い思し召しがあるのであろう。
この夢を見た日は、東日本大震災以降、墓終いされたままであった、或る寺の歴代住職や寺族を合祀する永代供養墓を建立することがようやく決まった日であったのだ。
大学の学生の頃、施餓鬼会の手伝いをしていた或る大寺院の老住職が、何気なく聞かせて下さった話しを思い出す。
「私はね。死んだらこの寺の山門近くの参道側に埋めてほしいと思っているのだよ。それはね、この寺を訪れる人々の安寧をずっと祈っていたいからなんだよ。」
この住職は密教の法義などに全く無頓着であ、ありのままで屈託なのない優しい方であったが、眼光鋭く、ものごとの真実をカッ!見据えている方であった。
この方はきっとそれをあの世に行っても確かに果たしておられる気がしていたが、人生の一大事は消えるところには無いもののように思われてならない。